韓国の経済発展と工業化過程について キム ドクホ 私は韓国で生まれ、高校まで韓国で教育を受けてきた。高校卒業後日本に留学し、拓殖大学に入学した。韓国人であり、韓国で韓国の経済を勉強した私には韓国の経済のことが得意だと思っていた。しかし、この大学に入り、ゼミで韓国の経済発展を勉強して、その以前まで私が知っていた韓国の経済発展や工業化過程についての私の知識がどれだけ不十分であったか知った。このような動機で私は韓国の経済発展と工業化過程について更に勉強するために卒業論文のテーマに決めた。卒業論文の内容は次の通りである。 韓国と北朝鮮を含む朝鮮半島の全域は1910年から1945年にいたる36年間日本の植民地であった。この時期の韓国の経済は文字通り日本の植民地の国であった。1945年に韓国は独立した。しかし1950年には朝鮮戦争が起こり南北分断となり、韓国経済はゼロになった。朝鮮戦争後、1950年代の韓国経済はアメリカの援助による復興の過程であった。1962年第1次経済開発計画が作成され、韓国は韓国経済の未来に対する希望と自信感を持つようになった。その後韓国が自立的国民経済を形成するためには、素材、中間製品、資本財の生産基盤をつくりあげていく必要があった。このための努力が、重化学工業化である。1973年政府は重化学工業化宣言をおこない、同時に鉄鋼、非鉄金属、石油、機械、造船、電子工業を6大戦略産業として指定した。韓国の重化学工業を発展させたのは鉄鋼業と自動車産業の影響が大きい。1970年代の韓国は、まさに輸出至上主義の時代であった。1970年代後半には、輸出拡大をめざして総合貿易商社制度が新設された。政府指定を受けた商社は、輸出用原資材の大きな輸出枠を与えられ、さらには低利の輸出金融や税制上の優遇条件を享受することができた。しかしこのように急速に発展してきた韓国は1997年IMF危機に直面した。しかし、韓国は1997年の経済危機発生以後、2000年には年率8.8%の経済成長を記録し、2001年8月にはIMF資金を完済して経済危機わずか3年で経済を回復させた。 韓国は急速に発展し産業化を進めてきた。しかし今後本格化される世界的な革新競争と産業構造の改編を前提とすると、韓国は経済危機以降、グローバル化に対応できる体制を確立し、外部資源に依存した開発体制、いわば国際資源依存型の開発が必要であると考えられる。 目次 第1章 開発の初期条件 第1節 植民地時代の韓国経済 第2節 朝鮮戦争 第3節 1950年代の韓国経済 第2章 経済開発政策と経済発展 第1節 第1次―第2次経済開発5ヵ年計画(成長基盤の形成期) 第2節 第3次―第4次経済開発5ヵ年計画 第3節 第5次経済開発5ヵ年計画(経済安定と自立経済の確立期) 第4節 重化学工業化の推進 ― (1)加工貿易型経済からの離脱 (2)先進国の4倍のスピード (3)韓国の鉄鋼業発展 (4)自動車産業の発展 (5)重化学工業化の促進要因 第5節 輸出志向工業化 第3章 韓国経済危機 第1節 韓国の経済危機 第2節 韓国の構造改革 ― (1)IMFのコンデショナリティ (2)韓国の構造問題 (3)金大中政権の構造改革 第3節 韓国の構造問題と構造改革 第4章 まとめ ― 韓国の経済発展 |