■ 自己紹介
  韓国の近現代史とそれが現代韓国政治にどのような影響を与えているかを学んでいます。学問は、人類発展に最も大きな貢献をしてきたと言っても過言ではありません。社会科学分野でも、たった一つの理論が歴史を決定づけるような役割を果たすことも少なくありませんでした。社会主義の失敗などが表しているように、学問は使い方によっては大きな悲劇をもたらします。しかし、反対に、使い方によっては人類の繁栄と平和をもたらすのです。
  勿論、学問は真実に忠実でなければなりませんが、朝鮮半島を学ぶことで日本と朝鮮半島の国家が21世紀、明るく豊かな未来を築いていく手がかりをつかめたら素晴らしいという考えで学んでいます。
 

■ 卒論タイトル:韓国社会における親日派と親北派
 
 
■ 韓国留学通信(2005.3〜2006.2)


徴兵制の悲劇

 私は、韓国に来ていくつかの「反米及び統一推進デモ」に参加してきた。その中で、私の留学中である大邱大学の二人の学生に出会った。テソンとスジョンである。二人とは、何回もデモに参加している内に、親しい友達となった。

 二人は、恋人かと思われるほど仲がよいのだが、交際はしていない。また、今後付き合うこともないと思われる。テソンが今年七月二六日をもって軍隊に行くからである。二人とも大学二年生であるが、二年後、テソンが軍隊から戻ってきた時には、スジョンは卒業間近の状態なのである。

 七月一〇日に行われた平澤(ピョンテク)でのデモに参加した時は、最も身近に機動隊と学生の衝突を見ることができた。機動隊の大部分は徴兵制によって服務させられている我々と同じ大学生である。若い彼らの顔には、デモ隊に対する恐怖と緊張が漂っていた。

竹棒などで機動隊を攻撃する学生たちに対し、機動隊は盾で防ぐのみで、ほとんど棍棒を振りかざしたりすることはなかった。彼らが 迫り来る学生たちを少し盾で押し返すだけで、デモ隊からは、「平和デモを保障しろ」との声が上がった。デモ隊の一人の女学生が機動隊に向かって放った、「お前たち、それでも人間か?」という言葉に対して、一人の機動隊員が振り返り、当惑と怒りと悲しみの入り交じった表情をしていたのが印象的であった。

スジョンもそのデモに参加していた。彼女も他のデモ隊員たちと共に、「暴力機動隊引き下がれ!」と叫び、「弾圧している機動隊員の顔を写せ」という他のデモ隊員の声に答えて、カメラを持って果敢に前に出て、機動隊員の顔を取っていた。

 こんな彼女を見ていた時、ふと考えついたことがあった。徴兵されたテソンがもし機動隊に配属されたとしたら、ということである。デモをしていたテソンが、今度はデモを鎮圧する立場に立つわけである。

棍棒でデモ隊の学生を殴ることにもなるかもしれないし、積極的に鎮圧することをためらって上官に殴られるかもしれない。そして、今まで自分が叫んでいた「暴力機動隊引き下がれ!」という声を浴びる立場に立つことになるのである。スジョンのカメラに「機動隊員テソン」の顔が納められる日が来ることも、ないとは言えないのである。

 テソンとスジョンという二人を通して、私は韓国が抱えている「徴兵制の悲劇」というものを見た気がした。



韓国の子どもたちが知っている日本語

 私は、大学生が農村に行き農事を手伝う「農活」に参加した際、農村に住む子どもたちと交流を持つこととなった。大邱大学校師範大学の所属として参加し、「教活(教育活動)」を手伝うこととなったためである。

 私が行ったのは亀尾(グミ)市の農村であったが、「日本人だ」と言うと外国人と一度も会ったことがない農村の子どもたちは、私を不思議者扱いした。そして、私の周りを「日本語話してみろ」などと言いながら取り囲んできた。

 私が、「こんにちは」と言うと「それはどういう意味か?」と聞いてくるので、「アンニョンハセヨという意味だ」と説明してやった。韓国に来て、高校の時に第二外国語で日本語を習い、自己紹介くらいの日本語は話せる韓国人に慣れていた私にとって、「こんにちは」という言葉を知らないのには多少驚いた。ただ、今考えてみれば私も彼らと同じ、小学生に入るか入らないかくらいの年頃の時、「グットモーニング」という英語さえ知らなかったのだから、やむを得ないことだと思う。

 しかし、そんな「こんにちは」も知らない子どもたちが、「ワキザカ」と「タケシマ」という日本語だけは知っていた。「ワキザカ」と言うのは、最近韓国で放送中のドラマ「李舜臣」に出てくる人物で、秀吉の朝鮮出兵の際に、朝鮮で指揮をした日本の将軍である。ドラマでは、笑い方やしゃべり方など、すべてにおいて酷く下品で、完全な「悪役」として描かれている。

 はじめは一人がしゃべり始めた、「ワキザカ、タケシマ」という言葉を聞いて、ほかの子どもたちも彼らの知っている唯一の日本語を思い出して、「ワキザカ、タケシマ」と真似して話し始めた。その中から一人が「独島(竹島)はどっちの領土だ?」という声が上がると、またそれを他の子どもたちが真似をして、私を追及してきた。

 私は、「日本語」というと、子どもたちの口から、「アリガトウ」とか「コンニチハ」よりも、「ワキザカ」と「タケシマ」という言葉が出てくる事実、そして、日本人と見るや竹島問題を追及してくる子どもたちに、怒りよりも悲しさを覚えた。

 
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